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自転車タイヤ交換 [徒然]

アメリカから持って帰ってきてしばらく放っておいた自転車にまた乗り始めたんだけど、やたらパンクする。チューブは新品に替えだけどそれでもパンクする。チューブはその辺のホームセンタで合うサイズのやつが二個だけ棚晒しになってたのを買ってきたものなので、製造されてから大分経っていたのかもしれない。ちょっと遠乗りする度に道端で修理するのも面倒なので、もうタイヤもチューブも一切合切替えることにした。これは後々またやる時の自分のためのメモ。

まず古いタイヤ。この自転車、先に帰任した同僚が帰任時にくれたものなんだけど、買ってから替えてないであろうタイヤはもうとっくに寿命でひび割れまくり。そりゃパンクもするわな。
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タイヤとチューブを取っ払って、ついでだからリムテープも替えておこうと思う。元々のリムテープは黄色いモノ。あれ、20mm 幅だったんだ。18mm 買ってきちゃったよ。まー大丈夫でしょう。
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リムテープも外してリム丸裸。スポークのここがチューブに当たらないように、リムテープを巻くのだね。
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新しいリムテープをはめる。リムテープにはバルブを通すための穴が空いているので、リムの穴と位置を合わせなければならない。リムにはめる際はドライバかなんかを突っ込んでずれないようにする。
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ここでリムテープ取り付けのコツ、というか四苦八苦して発見した tips。
リムテープはスポークのリム裏の部分(なんて言うの?リム丸裸写真に写ってる部分)をちゃんと覆うように付いてないと意味がない。なのでなるべく中央にしたい。ところがリムの中央部が溝状に凹んでおり、ここに嵌ってしまうとうまいことテープを持ち上げてやらないと左右に位置をずらすことが出来ない。ドライバでちまちまやってたんだけど、あっちを直すとこっちが段差に嵌まり・・・とイタチごっこ。そこで!
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リムに全体をパチッと取り付ける前に、古いリムテープを通しておく。この状態で一旦リムに取り付けて、古いリムテープで新しいリムテープを持ち上げつつ位置を調整すればあら簡単。最後は古いリムテープを抜き取って完成。

ちなみに今回使ったリムテープは、シュワルベの 18mm 幅のやつ。10bar 対応ですってよ奥様。
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さてあとはタイヤとチューブを嵌める。タイヤはパナレーサーの RiBMo PT ってのにした。パンクに強いっ!ってのがウリ。一本4,000円強とちょっとお高いんだけど、もうパンクはイヤなんじゃぁ~ パンクしないなら金出すでぇ~
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タイヤとチューブは特に書くこともなく淡々と完成。RibMo PT は硬くてリムに嵌めにくいという評判をネットでよく見たんだけど、全然そんなこともなく手で嵌められた。まだ秋口で気温が高め(27℃くらい?)、サイズは一番太いの(35c)ってのも、嵌めやすい条件としてはあるのかな。
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空気入れてホイールを戻して完成~。
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ところでこのタイヤ、トレッドが丸くなくてとんがってる。トンガリ部分のゴムが厚くてパンクに強いんだろうか?
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さて試乗&インプレッションですが、なんといっても前のタイヤが適当すぎかつボロボロすぎだったので、悪くなった点は一つもありません。以下はボロボロタイヤから替えた場合のインプレッションなので、一般にこうだ!というわけではないと思うのでご容赦を。

まず感じたのは、静か。ロードノイズがほとんどありません。まー、前のタイヤがクロスオーバみたいな、トレッドの横の方にブロックがあるやつだったから、それより静かなのは当たり前か・・・

軽快感としては、乗り出しと滑走はすいーっと転がります。ただ、ある程度スピードが乗るとあんまり軽い感じではないのかな。ロードレーサーの「軽い感じ」とかどんだけ軽いのか知らんけど。俺のは MTB 寄りのクロスバイクなので。

とにかくパンクがイヤな俺はいつも指定空気圧の上限一杯まで入れて乗る。今回使用した 700x35c は上限 6.5bar。これで乗ると、結構硬くて路面の振動がモロ手と腰に来る。ただこれも、前のへっぽこタイヤでは空気圧はかなりいい加減な感じで乗っていたので・・・

脈絡なくて、かつ上手く説明できないんだけど、なんとなくバイクのタイヤの感じがしました。トレッドのゴムが厚いのかな。あ、とんがってるのって、ゴムが厚くてもっさりするのを改善するために、接地面を減らして軽快感を出そうってことなのかな?

期待の耐パンク性能ですが、こればかりは一日二日乗ったくらいでは分からないので今後に期待ということで。交換してから今まで、90km ばかり荒川沿いを乗りました。埼玉県の川沿い道路は突然砂利道になったりして FXXX 埼玉県!なわけです。前のボロタイヤだったら砂利とか恐ろしいので降りて押してたと思いますが、蛮勇奮ってそのまま乗り入れてみたところ RibMo PT は時々小石を「ビン!」と跳ね飛ばして調子よく走ってくれました。そういうことするからパンクするのかなー。

ではみなさん、荒川沿いでおっそーい SCOTT P55 見たら私ですのでよろしく。

被写界深度 [徒然]

まだまだ新しく買ったカメラで浮かれております。
この前、Kiss X7 を薦めた張本人であるほぼプロの同級生と会って、ひとしきりカメラ談義してきた。まー、ド素人の俺には高度過ぎる話ばかりなんだけど、その中で一つ、どうしても納得出来ない、というか、経験上腑に落ちないことがあった。
曰く、被写界深度というのはジャスピンから手前・奥に半々ではなくて、手前1に対して奥2くらいの割合だというのだ。だから集合写真などを撮るときは奥行き真ん中にピントを合わすのではなく、少し前側、最前列から3分の1くらい奥のところに合わすのだと。
ピントの深度が手前と奥で違うというのは、小物を限界まで寄って撮ったりした時に自分で気付いていたのだけれど、俺の出した結論は手前が深くて奥が浅いというものだった。
うーむ。ピント難解なるかな。実はピントに関しては他にも色々と疑問があるのだ。

疑問1:レンズによって被写界深度は違うのか。
被写界深度はレンズによらないのだろうか?焦点距離、絞り値、被写体との距離が同じであれば、レンズが異なっていても深度は同じか?

疑問2:焦点距離と被写界深度の関係。
モノの本によると「被写界深度は広角で深く、望遠で浅い」とされている。しかしこれは経験と合わない。なぜなら、例えば望遠で建物を撮った場合、手前の柱にはピントが合っているが奥の柱には合っていない、なんてことが起こるか?望遠の方が被写界深度が浅いというのは比率の問題であって、深度の絶対値を意味していないのではないか?つまりこういうことだ。ある被写体を広角と望遠で撮ることを考える。画角は同じとすれば、被写体が 1m 先にあれば広角で、100m 先にあれば望遠で撮ることになる。この場合にどちらも被写界深度が 10cm だったとすると、1m に対する 10cm は 10%、対して 100m に対する 10cm は 0.1% となる。この比率を称して「望遠では被写界深度が浅い」と言っているのであって、広角側で 10cm あった被写界深度が望遠側では 1cm になるという意味ではないのではないか?

これに先ほどの、合焦範囲が広いのはジャスピンの手前か奥か?というのを合わせて3つの疑問になる。
この機会にはっきりさせておこう。実験だ。


実験の目的
この実験では、上に挙げた3つの疑問を明らかにしたい。

1. 被写界深度はレンズによらず同じか、違うか。
2. 被写界深度は望遠の方が浅いというのは本当か。比率ではなく、絶対値で知りたい。
3. 被写界深度はジャスピンの手前・奥どちらが深いのか。あるいは同じか。

実験方法
広げた雑誌の上にメジャーを置き、「20cm」のところにピントを合わせて撮影を行う。以下の各条件にてそれぞれ5回撮影する。

No. : レンズ : 焦点距離 : 絞り
1 : EF40mmF2.8 STM : 40mm : F5.0
2 : EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM : 40mm : F5.0
3 : EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM : 18mm : F5.6
4 : EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM : 55mm : F5.6
5 : EF-S55-250mmF4-5.6 IS II : 250mm : F5.6

1, 2 を比較することで、レンズによる被写界深度の差を確認する。
3, 4, 5 を比較することで、焦点距離の被写界深度への影響を確認する。
被写界深度の手前・奥の比較は、同じく 3, 4, 5 から行う。

写真全体としては、以下のような画角で撮影を行った。
EF40mmF2.8_40mmF2.8_AF-01.JPG

実験結果
まずは疑問点1、レンズによる差を確認しよう。

・・・と、ここで問題発生。ジャスピンの手前・奥で合焦している深度を記録しようと思ったら、どこがジャスピンなのか分からない。(笑)
仕方がないので合焦範囲限界の手前と奥(ボケ始めるスケール値)だけを記録することにする。疑問点1と2は深度さえわかれば良いのでこれで十分。問題は疑問点3だが、全てのケースにおいて MF でも撮影しているので MF で撮った写真の「20cm」をジャスピン位置とすれば AF のクセ(前ピン・後ピン)の影響を排除できる。はず。

さて気を取り直して疑問点1。2種類のレンズで撮ったうちのそれぞれ一枚を以下に載せる。狙いの 20cm 付近を拡大してある。
こちらは 40mm の単焦点レンズ(EF40mmF2.8 STM)で撮ったもの。
EF40mmF2.8_40mmF5.0_AF-02_zoom.JPG

そしてこちらはレンズキットの広角側ズームレンズ(EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM)を使用。
EF18-55mmF3.5_40mmF5.0_AF-02_zoom.JPG

焦点距離はどちらも 40mm、絞り F5.0。

見た感じは大体同じ被写界深度に見えますね。
各レンズで撮影した写真5枚について、合焦範囲限界の位置を平均してグラフ化したものが以下。
graph_lenz.jpg

綺麗に同じ合焦範囲となった。つまり、焦点距離・絞り・被写体との距離が同じであれば、レンズが違ったとしても同じ被写界深度が得られる、と言える。

続いて疑問点2、広角と望遠での被写界深度の差、つまり焦点距離による差を確認しよう。ここでは絞りを F5.6 に固定し、3つの焦点距離 18, 55, 250mm で撮影を行った(250mm だけレンズが異なる)。以下は各焦点距離における一枚。
まず 18mm。広角側キットレンズ(EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM)の広角いっぱい。
EF18-55mmF3.5_18mmF5.6_AF-01_zoom.JPG

お次は 55mm。広角側キットレンズ(EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM)の望遠いっぱい。
EF18-55mmF3.5_55mmF5.6_AF-02_zoom.JPG

最後に 250mm。望遠側キットレンズ(EF-S55-250mmF4-5.6 IS II)の望遠いっぱい。
EF55-250mmF4_250mmF5.6_AF-01_zoom.JPG

絞りは全て F5.6 です。

焦点距離が長くなるにつれ、被写界深度が浅くなる様子が分かる。
各焦点距離での合焦範囲限界位置の平均は以下。
graph_fd.jpg

データからも、焦点距離が長くなると被写界深度が浅くなることが明確に裏付けられた。モノの本は正しかった・・・

最後に疑問点3。
・・・と、ここで、再度問題発生。手前・奥の合焦範囲は MF で撮影した写真の「20cm」を基準として測ろうと思ったが、MF がヘタ過ぎて 20cm 位置を基準にするなんて到底ムリ。中には 20cm 位置に全くピントが合っていない写真もあり・・・
MF で撮ったひどい写真と、AF, MF の合焦範囲限界位置のばらつきを比較したグラフを以下に示す。

EF40mmF2.8 STM, F5.0 で試しに撮影。「20cm」はギリギリピントがあってる...か?
EF40mmF2.8_40mmF5.0_MF-02_zoom.JPG
graph_af-mf.jpg

AF のバラ付きが σ=1.0 程度なのに対して、MF は驚きの σ=7.3。この例では被写界深度がトータル 30mm 程度なので、被写体にピントが合うのは2σというヘタレっぷり。

これではしょうがない。ジャスピン位置が分からない以上手前・奥の被写界深度についての結論は出せない。ただ、焦点距離で比較したグラフをもう一度見てジャスピン位置を「20cm」(グラフでは 200mm)と仮定すると、広角側(18mm と 55mm)では手前・奥ともに同じくらいの深度、望遠側(250mm)で手前1:奥2くらいの深度になっている。従って、手前1:奥2の被写界深度というのはあながち間違えではないようだ。


結論と考察
レンズそのものによる被写界深度の差分は認められなかった。つまり、焦点距離・絞り・被写体との距離が同じであれば、レンズが違ったとしても同じ被写界深度が得られる。

望遠側、つまり焦点距離が長い方が被写界深度が浅いというのは本当だった。「浅い」というのは被写体までの距離と深度との比率の問題ではなく、画角が同じであれば絶対値として望遠側の方が浅くなる。
普段望遠側にしても被写界深度が浅くなることを感じなかったのは、望遠側では遠くのものを撮ることが多いためと考えられる。被写界深度は被写体への距離に応じて深くなる。被写体への距離が、望遠で焦点距離が伸びたことによる影響を相殺、または上回って深い被写界深度を得ていたと推測する。

被写界深度がジャスピンの手前と奥で異なるかどうかについては、明確な結論は出せなかったものの、得られたデータは手前1:奥2の深さという説が十分説得力を持つものだった。
しかしある程度広角側で AF を使用した場合、狙った位置が合焦範囲のちょうど中央になる傾向が見られた。もしかすると AF がわざと少し前よりにピントを合わせ、このような結果になるよう制御しているのかもしれないと推測している。
これを立証するためには MF の修行が必要。でも、250mm のピント合わせとかムリ。そもそも被写界深度が 2cm くらいしかないのに、ちょこっとピントリング動かしただけで数センチピントがずれちゃうんだけど。
修行すればできるようになるのだろうか・・・

以上です。

カメラ買いました [徒然]

なんとびっくりブログエントリを書くのは2年半振り。Seattle から San Jose に引っ越した時以来か・・・今は日本に帰ってきております。

さて今日は、新しくカメラを買って浮かれているのでそのことを書きます。コンパクトな方がいいなかと思ってミラーレス買おうと考えてたんだけど、レンズの大きさは一眼でもミラーレスでもさほど変わらないし、それだったら足腰の強そうな一眼にしておこう、ということで、Canon の EOS Kiss X7 にしました。分不相応なデジタル一眼です。レンズ二つ付きの買っちゃった。もっともらしい理由を書きましたが、これにしたのは友人のほぼプロカメラマンに薦められたのが大きいです。X7、しっかし小さい。ほんと一眼かこれ?と言っても上に書いた通り、レンズ付けると立派な大きさになりますけど。縦横は小さいけれど、ミラーが可動するからなのか、ミラーレスより厚みがあります。ただレンズ付けるとちょうどいい感じにホールドできるので、ミラーレスよりバランス良いかも。本体の写真をここに載せたいのだけれど、カメラでカメラ自身の写真は撮れないのでパス。

全くのド素人なので、ひとまず色々試してみています。まずはボケっていうの?被写体だけにピントが合って、それ以外の手前とか奥とかの部分がぼやっとしてる写真撮りたいよね!
やってみました。モノの本によると、

  • センササイズが大きいほうがよりボケる。
  • 絞りを開けるとよりボケる。
  • 望遠側の方がよりボケる。


とのこと。センササイズは変えようがないので、残りの二つを試してみます。レンズは付いてきたのの広角の方を使用。(18-55mm)

まずは広角側で、絞りを開いたのと絞ったのを比べてみる。

(1) 広角:絞りを開く
18mm, F/3.5, 1/500s, ISO 100
IMG_0532.JPG

(2) 広角:絞りを絞る
18mm, F/20, 1/40s, ISO 250
IMG_0533.JPG

続いて望遠側。同じく絞りの違いでボケ具合を比較。

(1) 望遠:絞りを開く
55mm, F/5.6, 1/250s, ISO 100。
IMG_0530.JPG

(2) 望遠:絞りを絞る
55mm, F/20.0, 1/100s, ISO 500。
IMG_0531.JPG

うん、やっぱり望遠で絞りを開けた時が一番ボケるね。でもここに載せるために縮小すると、その処理でちょっとボケちゃうな・・・ともかく。

ピントを手前のものに合わせるか奥のものに合わせるかで、後ろがボケたり手前がボケたり、というのもあるよね。望遠、絞り全開で両方やってみた。

ピント前 == 後ろボケ
55mm, F/5.6, 1/80s, ISO 400。
IMG_0525.JPG

ピント後ろ == 前ボケ
55mm, F/5.6, 1/100s, ISO 400。
IMG_0526.JPG

うーむ。色々できますなあ。今後とも修行していきたいと思います。

今度はアメリカ縦断ドライブ 3日目(最終日) [徒然]

さていよいよ今日がアメリカ縦断ウルトラドライブ最終日。残すところはあと 200 マイル程度、メインイベントたる Oregon Vortex にも昨日寄ったし、あとは目的地目指してひた走るのみ。予定のルートは I-5S、I-505S、I-80W、I-580W ときて、US-101S で Golden Gate Bridge を渡り San Francisco を通りぬけ、そのまま新居の San Jose を目指す!

・・・と思ったのだが、いきなり道を間違えた。I-5 を真っ直ぐ進んで着くのは Sacramento で、San Francisco は I-505 に分岐しなくちゃいけない。I-5 の表示がずっと「San Francisco/Sacramento」だったものでなんとなく同じ方向のような気がしていて、間違えて Sacramento 表示の方(分岐しない方)に進んでしまった。

というわけで一旦 freeway を降りて下道で復帰中。のどかな畑の中を走る。
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無事 I-505S に乗り、I-80W、I-580W へと進む。
見えてきました San Francisco Bay。San Francisco Bay は南北から突き出した半島に囲まれた大きな入江で、北側が San Pablo Bay、南側が San Francisco Bay と呼ばれているみたい。この橋は Richmond-San Rafael Bridge という橋で、両 bay の境目あたりで内陸と北側の半島をつないでいる。つまり橋の右側が San Pablo Bay、左側が San Francisco Bay ということになる。
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橋を渡って北側の半島に入り、I-580W から US-101S に分岐して南下する。北側半島と南側半島の突端を繋ぐのが Golden Gate Bridge で、南側のたもと、南側半島の突端が San Francisco だ。見えてきた!
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Golden Gate Bridge 走行中。観光でここに来た日本人はゴマンといるだろうけど、自分の車で橋を渡った人はそんなにいないだろうて。十万人くらい?
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一昨年(だと思ったが・・・)、San Francisco に仕事で来たことがあって、一日空いたのでここに観光に来た。橋の横には歩道があって、歩いても渡れるようになっている。海の上の高い場所なので風が強かった。よく晴れていて、San Francisco がよく見えたことを思い出す。あの時はまさかここに引っ越してくるとは思いもしなかったな・・・と万感の思いで橋を渡り切る。

橋を渡るとすぐ San Francisco の市街地に入り、US-101 は一旦下道となる。San Francisco は坂の多い街だ。Seattle もものすごい坂があちこちにあったが、こちらも負けず劣らず。ケーブルカーがあるくらいだしね。
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再び自動車専用道路となった US-101 を南へ走る。US-101 は San Francisco を起点に南側の半島を南北に縦断し、その先は Los Angels まで続いている。この US-101 沿いには Standord、Palo Alto、Mountain View、Sannyvale、Santa Clara と、皆さんもどこかで聞いたことがあるであろう地名がずらりと並んでいる。そう、ここが名高い Silicon Valley なのだ。目指す San Jose は Silicon Valley の一番端(南東)に位置している。ま、どこからどこまでが Silicon Valley かってのは、言ったもん勝ちで特に決まってはいないみたいだけど。
標識にも San Jose の文字が見えてきた!
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思えば Washington 州の海岸べりを走ったのも US-101 だった。この旅は US-101 に始まり US-101 に終わるのだ。

着きました、新居!といってもまだ入居できないので、車を停めて写真を取っただけ。しかもこれ部屋の前じゃない。新居は敷地の中に市立公園があるドデカい複合アパートで、自分の部屋の前は道が細いので写真は道の広いここで。マジで「日本の団地かっ!」ってくらいデカいので、San Jose 空港から離陸する飛行機から見えます。
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いやー、今回も走ったねえ。でも大陸縦断に比べればヘでもないね。1/3 の距離を半分の日程で走ったわけだから。
しかしそれでもやはり、アメリカは広いなー、とまたしても実感してしまった。同じ太平洋でも、厳しい表情を見せる北部の海に対して、ここ Nothern California では青い空の映える美しいものとなっている。更に南下すればより南国の趣を見せているのだろう。そういう意味では日本の北海道から沖縄に至る変化と同じだが、これが国全体に渡る変化ではなく、あくまで西側の一地方だというところがアメリカの広さだ。

まだまだこの国には、見ておくべきもの、知っておくべきことが沢山ある。いつまでいられるかは分からないが、その間できるだけ多くの経験を、今度は西海岸で得ようと思う。


本日の走行距離: 248 mile (397km)
総走行距離: 1040 mile (1664km)

今度はアメリカ縦断ドライブ 2日目 [徒然]

俺にしては朝早く起きられた。朝御飯を食べて New Port を即出発。といっても既に9時だ。
道は昨日と同じく、太平洋の波を右手に見ながら海沿いの US-101 を南下する。生憎の小雨日和なので屋根は閉じて走る。道端にはラベンダが咲いていた。
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100mil 弱行ったところで左折し、OR-38 を東に向かう。道は一転していい感じの山道になる。道中はどしゃ降りと晴れを繰り返す不安定な天気だった。Boston を含む米国北東部、New England 地方では New England weather といって、急に変わる天気が夏場の風物詩なのだけれど、それとちょうど似た感じでちょっと懐かしい気分。
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しばらく行くと OR-38 は I-5 にぶつかる。I-5 に乗り換えて南下する。やっぱ Interstate は速いね。道も広いし。
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Rock Point Bridge という出口で一旦 I-5 を下り、山道を進む。この先に今回の旅における個人的メインイベント、「The House of Mistery: Oregon Vortex」があるのだ!
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Oregon Vortex とはなんじゃらほい?という方のために説明しよう。えー、まあなんと言いますか、不思議な場所らしいです。おかげで全米から、いや全世界から中二病をこじらせた不思議ちゃんが大集結、はしていませんが、どんな風に不思議なのかは後ほど。
なんでこんなトコ知っているかというと、子供の頃テレビ番組でやってたのね。昔ってよくやってたでしょ、世界の七不思議!みたいな番組。〇〇スペシャル、とか言って。それがすごく印象的で、うわー行ってみてーっ!って思ったのは覚えたんだけど、当然ながらどこにあるんだかは忘れてた。で、最近何気なくネットで調べてみたら、なんとOregon でねえの。Seattle --> California の通り道でねえの。こりゃ寄るしかないってことで行くことにしました。

山道の分岐点にある「こっちだよ!」って看板。なんつーか、思ったとおりのトホホ感満載で否が応にも期待が高まる。「WORLD FAMOUS!」って。言っちゃった。自分で言っちゃったよこの人。
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んで到着。日本の箱モノ行政もびっくりの寂れ加減。けど結構人気あるみたいで、お客さんは後からいっぱい来た。
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中は基本的にガイドさんと一緒に巡ることになっている。勝手に歩き回っちゃダメ?って入り口で聞いたら「ダメ」って言われちゃった。ガイドさんツアーは30分おきくらいに始まる。着いたときは前のツアーが始まったばかりだったのでしばらく待っていたら、30人ばかりお客さんが集まった。結構盛況だな。

さていよいよガイドさんツアー開始。今回のガイド、ボブ。この場所では元々砂金採りが行われていて・・・といった歴史や、地磁気が狂っていて・・・といった不思議現象の原因(?)について滔々と前口上を述べていた気がするが、いかんせん早口だったので俺の妄想かもしれない。ちなみに「ボブ」ってのも俺の想像の産物であって、本名は最初に名乗ったんだけど聞き取れなかった。よって以下「ボブ」で押し通すことにする。
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で、不思議現象その1。二人の頭に棒を乗せる。まあ大体同じくらいの身長。
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そのまま位置を交代すると・・・
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なななんと!右側に行くと身長が伸びるとな!?

水準器を使って台が水平であることをアピールするボブ。「踏み台が傾いてるだけじゃないの?」という疑問は当然出てくるが、そういう訳ではなさそうだ。うーむ。なにがどうなっているのやら。
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こちらが不思議の館。傾いて建っているので、見ているだけでなんだか平衡感覚が狂ってフラフラする。中に入ると更に平衡感覚がおかしくなって何かにつかまっていないと倒れそうになる。結構危ないので、お客さんは右の壁に取り付けられた手すりに沿って入り、不用意に手すりを離さないように、と注意される。
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小屋の中で起きる不思議現象その2。箒が立つ。
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といっても無造作に置くと勝手に立つというものではなくて、ボブが慎重にバランスを取ると手を離しても立ったままになる、というもの。上手いことバランスさせればそりゃ立つんだろうけど、どうも小屋の中にいると水平・垂直の感覚が狂うようで、なんだかありえない角度で斜めに立っているように見えて大変面白い。写真からも、ボブの体の軸と箒の軸が平行ではないことがわかると思う。どうも小屋の中ではバランスを取るために人間は斜めに立っているらしく、しかしみな自分は真っ直ぐ立っていると思っているので、本来鉛直の箒の方が斜めに思えるということのようだ。

不思議現象その3。坂を転がり上がるボトル。
ちょっと見にくいけど、左側手前にいるボブと右奥側にいる子どもの間の足元にボトルが寝かして置いてある。写真でも、この部分の床は子供の方に向かって傾斜しているように見えるんだけど、実際にはボブの方に向かって傾いている。そのためボトルはボブに向かって、あたかも坂を上がってくるように見える。
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これはボブが水準器で床を計って、実際の傾斜は皆が思っているのと逆方向だということを示していた。こうやって一部だけ種明かしをすると、何も種明かしをしないよりも不思議感がより一層高まる。このあたり、分かってるねえ、という感じでなかなか心憎いガイドっぷりである。

小屋を出て、最後の不思議現象、その4。基本的には不思議現象その1と同じく身長が伸び縮みするってものなんだけど、こちらの方が顕著に伸び縮みして見える。まずは最初の並び。右はじの子供を除けばみな大体同じか、若干右上がりの並びに見える。
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順番を入れ替えたところ。ものすごい右上がりになった!こりゃ面白い。
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後ろの小屋の屋根とかが傾いてるからそう見えるんじゃないの・・・と言われるのはボブとしても百も承知、この後お客さんを一人だけこの台に立たせて目を瞑らせて、ボブが向かって右に立った時と左に立った時にそれぞれ肩に手を置いてもらった。そうすると、右に立った時のほうが明らかに肩の位置が高いと言うんだなこれが。つまり視覚による錯覚じゃない、と。この後ボブが「右に行くと身長が伸びるということは、つまり密度が下がっているということで、この場所には物質の質量に影響を及ぼす効果が云々かんぬん」というなかなかトンデモな解説を始めた。まあそれは不思議度を Max に持っていくための口上として半笑いで聞き流せばいいと思うけど、うーん。どうなってるのやら。

というわけで、トホホな感じを期待して行ったはずなのに割とマジで楽しめました。カラクリは全然わかんなかったけど。
しかしガイドには感心したね。よくよく考えると、不思議なのって身長が伸び縮みする、箒が立つ、の二つだけなんだよね。それこそ日本の箱モノ行政にここを仕切らせたら5分で説明終わっちゃいそうなのに、それだけのネタをあの手この手で見せつつ一時間近くお客さんを楽しませるってのは大したものだと思いました。

さて Oregon Vortex には大満足したので、あとは一路 California を目指して距離を稼ぐことにいたしましょう。再び I-5 に乗り南下すると山の登りが始まり、登り切ってちょっと下ったところでいよいよ最終目的地の California 州に入った。
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といってもまだ道のりは半ば。California 州に入った最初の出口は番号が約800。つまり California 州は南北800マイルあるってこと。シリコンバレーは Northern California なのでここから 300 マイル程度だけど、California ってデカイんだなー。

California 州に入った途端に風景が乾燥地帯のそれに変わる。大陸横断でよく見た風景だ。道も延々真っ直ぐ伸びて、いかにもアメリカらしい風景だ。
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道の横はだだっ広い牧場で、牛がわんさかいる。牛が道路に出てこないか心配になったけど、よく見ると道路の横に柵があった。電流柵ってやつか?なので多分大丈夫なんだろう。
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なにやら奇妙な形の山が見えてきた。霊峰として名高い Mt.Shasta がこのあたりのはずなのでこれかっ?と思ったんだけど、山の麓にダンプカーがわらわらといたのでこれは単なる小山みたい。霊峰削って土砂取ったりしないよね?
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良さげな湖がみえたので、ちょっと寄り道。Lake Shasta だそうです。寄ってはみたものの、特に何もない。湖畔が駐車場になってて、入るのに $10 取られたけど。ボート用のトレーラーがいっぱい泊まっていたので、ボート遊びする人に人気があるみたい。
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このまま頑張れば今日中にシリコンバレーまで着けそうな勢いではあったけど、急ぐ旅でも無し、腹も減ったので Willows なる町に泊まることにした。Motel6 を発見したのでここに宿泊。一泊 $60 の割にはまあまあ綺麗なお部屋です。
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近くに Denny's があったので夕飯はそこで。アメリカの Denny's って初めて入ったわ。飲み物どうする?って聞かれたからスパークリングウォーターをくれって言ったら、ウェイトレスのおばちゃんに「ないわよ。ここは Denny's よ?」って言われちゃった。となりのおばちゃんは水道水をコップに注いで「ちょっと泡だってるけど、こんなもんでいい?」とか聞いてくるし。嫌いじゃないぜアメリカのおばちゃんズ。
結局、「じゃあスプライトでいいわね?」ってことにされちゃいました。

本日の走行距離: 472 mile (755km)
総走行距離: 792 mile (1267km)

今度はアメリカ縦断ドライブ 1日目 [徒然]

10月に Boston から Seattle、正確には Redmond に引っ越してきたばかりだというのに、また転勤になってしまった。今度の行き先は California 州の San Francisco 近辺、Bay Area とかシリコンバレーとか呼ばれるあたりですな。よって大陸横断に引き続き、今回は大陸縦断・・・とまではいかないけど、米国の 2/3 くらいの長さを南下することになってしまった。

さあ出発。アパートよさらば。たった8ヶ月しか住んでなかった上に、そのうち4ヶ月くらいは出張してたけど。アメリカにしちゃ珍しい鉄筋コンクリート造りで、なかなか良かったぞ。
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せっかく Redmond に住んでいたので、Redmond を代表する企業の看板の前で記念撮影。ケンカ売ってるとしか思えない T シャツですが、たまたま着てただけですYO!
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Seattle から Bay Area に行くルートとしては、Interstate(州間高速道路)5号で行くのが普通だと思う。しかし二日間を予定していた引越しの荷出しが一日で終わって時間に余裕ができたので、今回は海沿いの US-101 を通って行くことにする。US なんちゃらって道は、自動車専用だったり普通の道だったりして、実際どちらなのかは通ってみないと分からない。US-101 がどっちだかは当然知らないが、まあ全部下道だったとしても三日もあれば着くでしょうという甘い目論見の元に、海沿いをコンバーチブルで飛ばす俺ってカッコイイ、というナルシスト全開の趣味を押し通すことにする(キモ)。

まずは Redmond で WA-520 に乗り、I-405 に入って南下する。この道は Seattle-Tacoma 空港に行く時何度も通った道だが、今回は空港の手前で I-5 方面に進むため分岐する。ここが分岐点。
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分岐して I-5 に乗ったらいきなりレア車発見。トヨタの FJ クルーザ。デカ過ぎて日本じゃ売ってない・・・んだけど、アメリカで見るとあんまり大きく見えないね。フォードのトラックとかの方がデカいぞ。
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ちょっと行ったら原子力発電所とおぼしき冷却塔があった。アメリカって結構都市のそばに原発作ってるんだよね。ここ数十年間、スリーマイル島の事故のあとは新規に作っていなかったのをオバマ大統領が方針を転換してまた作るって宣言したけど、日本の事故でどうなることやら。
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2時間程走って Raymond という町に到着。マイルストンにするほど大きな町ではない、それどころか超ひなびた田舎町だけど、腹がへったのとトイレに行きたかったのでカフェで休憩。Boston を出て以来の BLT サンドを食べた。BLT はどこで食べても同じ味。信頼のウマさ BLT。
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カフェに来るお客さんがじいちゃんばあちゃんばかりだったんだけど、やっぱり日本と同じで若者は都会に出ていっちゃうのかね。

Raymond を出ると、しばらく沼地だか干潟だかよく分からない土地が続く。よく分からない土地がよく分からないまま放置されているのを見るにつけ、やっぱり土地が無限にあるんだなー、とアメリカの広さを感じる。
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えっさほいさと脇目もふらず US-101 を進むと、Astoria 橋(だったかな?)が見えてきた。ここが Washington 州と Oregon 州の境。橋の下は川の河口だが、入江みたいになっているのでほとんど海だろう。
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渡河中。橋が長いので奥が見えないが、奥側は大型船が通れるように持ち上がっている。かなり大型の貨物船や客船が橋の下をくぐって往来していた。
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Oregon 州に入りしばらく行くと、Cannon Beach というところに着いた。なんとなーく観光地っぽい感じがしたので横道に逸れてみた。
予想通り観光地だったみたい。見よこの典型的なアメリカン・ビーチの町並みを。日本だと「民宿」「釣り船」とか看板が並んでるけど、アメリカだとこんな感じ。
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さすがアメリカ。砂浜もバカでかい。
しかし、さすがのアメリカ人をもってしても泳いでいるバカはまだいなかった。今日の気温華氏50度(摂氏10度)くらいだからな。
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Cannon Beach を後にして少し行ったところで超魅力的な建物を発見。しかしこの時点で既に午後の6時。もうちょっと早く通りかかったら行ったんだけどなー。残念。
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Cannon Beach より南の US-101 は波打ち際を走っている。飛ばすぜ湘南ハイウェイ。
なんとなーくだけど、東海岸に比べて西海岸の風景の方が日本に近い気がする。同じ太平洋だからかな?下の写真とか、逗子の辺りって言われても「へー。そうなんだ」って感じしない?
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気持ちよく屋根を開けて走っていたのだが、夕方になるとまだちょっと寒い。失敗したのだが、上着を全部引越しの荷物に入れてしまったので寒くても着るものがない。仕方がないから New Port という町の Fred Meyer でジャージ的な上着を買ってしまった。「夕方」と書いたが、夏至も間近のこの時期、このあたりは9時過ぎまで明るい。Fred Meyer を出た時点で既に9時近くになっていたので、今日は New Port で一泊することにした。調べると町の外れに Holyday Inn Express があるので行ってみたところ運良く一部屋空いていた。ナイス。

しかし、US-101 はずーっと下道であった。やっぱり下道だと距離が伸びないね。大陸横断したときはずっと Interstate だったので平均 60mil/h くらいで走れたけど、下道だとせいぜい 40mil/h くらいだわ。ま、今回の予定総走行距離は 900mil くらいだから、一日のノルマは 300mil。大陸横断の一日ノルマ 600mil に比べればチョロイでしょう。と楽観視しております。

本日の走行距離: 320mil(512km)

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Las Vegas [徒然]

4月に三回出張して最後の締めが五月初頭の Las Vegas 出張という予定だったのだが、初っ端の出張でトラブルが発生したおかげで全部繋がってしまった。従って4月初旬から5月半ばまでずーっと出張。その最終目的地がここ Las Vegas。

5/6 Las Vegas 到着。空港からしてすでにスロットマシンが置いてある。空いた空間はどこであろうととにかくスロットマシンが置いてある。Vegas 気分を醸しだすための演出だとは思うが、別にハリボテとかではなくちゃんと動く。やってる人もいるのが Vegas のバカっぽいところで好感度アップ。
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5/6 到着直後から 5/12 までは朝な夕なにびっちり仕事。まあ夜は同僚やパートナ企業の人と御飯食べたりして連日遅くなってたんだけど。最後の日、5/13 にようやく半日ほど時間が空いた。せっかくなので観光というか街並みチェックにでかけてみた。今回は Mandalay Bay というホテルに泊まったのだが、このホテルは Vegas 中心街を南北に貫くメインの大通り Strip の一番南端にあるので、南から北に向かって歩いて行った。

いながらにして世界旅行気分が味わえる、それが Vegas。まずはピラミッドで有名な Luxor。Mandalay Bay のお隣り。ピラミッドって。正面にスフィンクスって。バカだねー。
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同僚が Luxor に泊まったんだけど、となりの部屋の女の子達が深夜に大騒ぎ、やっと帰ったと思ったら次に来たおっさん達も馬鹿騒ぎ、フロントに電話して部屋を変えてもらおうとしたけど断られて、その上部屋に宇宙生物ゴキブリンが出たのでフロントに電話したらすぐ行くと言う返事なので寝ずに待っていたら来たのは一時間半後の深夜二時過ぎ、挙句「あら、いないわね」とぬかしやがったので早朝4時に怒りのチェックアウトしたそうな。観光で泊まるにはいいけど、ちょっとビジネス向きじゃないみたいだね。

Luxor の北隣は、なんつったかな。やっぱりホテルなんだけど、城。Excalibur とか言ったかな。ラブホかっ!?ってなくらい見事な城。越谷とか川口とかにありそうな雰囲気だけど、規模ははるかにデカイ。
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通りを挟んで更に北隣は New York-New York というホテル。名前の通り見てくれは NYC。ビルが複数建ってるような外観だけど、全部繋がってるっぽい。中身どうなってるんだろうね。
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NY-NY の通りに面したところには石版が並んで埋めこまれてるから何かと思ったら、歴史上の著名人の語録と 9.11 で犠牲になった消防士を偲ぶ品々だった。バカっぽいなかにも真面目な要素を織り込んでくるのがいかにもアメリカらしいというかなんというか。
その中で印象に残ったものを二つ紹介。

もし NYC が移転することになったらここにします。
ジュリアーニ NYC 市長(当時)


The ultimate measure of a man is not where he stands in moments of confort and convenience, but where he stands at times of challenge and contraversy.
【超訳】
人間の本当の価値というものは、快適で何の不便もない状況で計られるものではなく、挑戦と議論のさなかでこそ計られるものである。

マーチン・ルーサー・キング Jr.

ここまでは通りの西側を歩いてきたが、ここで東側に渡る。NY-NY のはす向かいくらいに緑色の大きなホテル「MGM Grand」がある。ここのホールでは、飛行機を消したりする大技マジックで有名な David Copperfield がレギュラーショーを毎晩開いており、この前の晩に同僚と観に行ってみた。
テレビで見る David のマジックは大物を消したり脱出マジックだったりの大技が主体なだけにシリアスなショーかと思っていたら、実際は盛んに客いじりしてみたり、箱からお客さんの抱えている樽の中にアヒルが瞬間移動するマジックでは「スローモーションでもう一回」と言ってぬいぐるみのアヒルを箱から出して樽に詰め込む様をコミカルに見せてみたり(でもコミカルな演出が終わるとちゃんと生きたアヒルが樽から出てくる)と、かなり笑えるショーだった。とは言っても飛ばしてる冗談の半分くらいしか何言ってるかわからなかったけど。
一つ印象的だったのは、David 自身の瞬間移動マジック。大きなファンがステージに出てきて、ファンと David に半透明の覆いが被せられる。後ろから照明があてられて覆いに David の影が映り込むと、David は回っているファンに手を差し込む。「ギューン、ギューン」といかにも何かを切断しているような効果音とともに David の影はどんどんファンに引きこまれていき、最後には完全にファンに飲み込まれて消えてしまう・・・とその瞬間、俺の席の前で急に立ち上がるヤツがいて、おい!クライマックスが見えねえよ!と思ったらなんとそれが David だった。いったいどっから出てきたんだ。つーか目の前に出てきたのにタネが分からないって、一体全体どうなってんの?

昨晩の話はこれくらいにして、再び町行脚に話を戻そう。MGM から更に北に行くと、今度はパリ。これもホテルで、その名もずばり「Paris」。写真には凱旋門しか写ってないけど、ちゃんとエッフェル塔もあります。
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で、もうちょい北に行くと今度はベネチア。これもそのまんま「Venetian」っていう名前のホテルだと思った。この塔、サン・マルコ広場の鐘楼だね。実物よりちょっと小さいけど。正面からみただけだと運河(?)がやけにしょぼい感じだったけど、奥は結構いい感じになってるらしい。しかし本物はマジ美しいからなー。いやー、一回しか行ったことないけどー。一回しか行ったことないけどなー。
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通りの賑やかなところはこのあたりまで。ゆっくり歩いてきたので2時間くらいかかってしまった。再び通りの西側に渡ってから折り返して南下することにしよう。

これは「Caesars Palace」とか言うホテル。ピラミッド、NYC、凱旋門、とかの中だとちょっと押しが弱いかね。シーザーの宮殿って言われてもピンとこないし。東洋人に馴染みがないだけで、西洋の人にはピンと来るのかな?
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Las Vegas では毎正時にショーというかなんというか、見世物の行われるホテルが複数ある。有名なのは火山がドーンと噴火して煙がもくもくでる「Mirage」ってホテルと、噴水の「Bellagio」ってホテルかな。上手いこと正時に Bellagio の前を通りかかったので、噴水を見物することにした。
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ほんの5分くらいだけどなかなか楽しめた。水は30mくらいの高さまで噴き上げるために圧搾空気かなんかでかなり圧をかけてるみたい。噴き上がるたびに大砲みたいな音がするのが面白かった、って全くヘンなとこに興味が行くのはエンジニアの性でしょうか。

街並み探索はこのくらい。その他、Vegas で見かけたオモロイものをいくつか紹介。

Hard Rock Cafe に飾ってあった Steve Vai のハート型ギター。
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その横には Edie Van Halen のギター。
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この二つは入り口に並べて飾ってあるんだけど、Dave Lee Roth を介して繋がってるという粋な演出とみた。
店内にはその他、Steve Howe やら REO Speedwagon やら有名ミュージシャンのギター、ベース、衣装が沢山飾られていて、オークションにかけたらいくらになるのよ?ってくらいの正に宝の山。さすが Las Vegas。

もう一つ音楽ネタ。バーで生バンドが演奏したんだけど、ギターとベースがソロでカウンターに飛び乗って弾いてた。エンターテイナーたるもの、やっぱこんくらいやんなきゃな。
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路上にはパフォーマが沢山いる。この人は Simpson の親父のカッコしてじっとしてるだけ・・・ならまだいいんだけど、暑いのか5分に一回くらいはマスクを取るので単に道でぐーたらしてるおっさんと化している。
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Vegasの安全は帝国軍の兵士によって守られている。ってまさか、本物の警官じゃないよね?
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ミッキーとアンディもおつかれの様子。
この二人、正式にディズニーから許可もらってるとはとても思えないのだが、大丈夫なのだろうか。ディズニーの法務部隊は米海軍特殊作戦部隊 SEALs、同じく陸軍のグリーン・ベレーに並ぶ実力を持つ実働部隊と聞くが・・・
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最後に、泊まってたホテル Mandalay Bey 最上階のテラスから、今日歩いた通りを北側に望む夜景を一枚。正に sin city、欲望渦巻く町、それが Las Vegas。
次は仕事じゃなく、遊びで来たいものです。
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Boeing 工場見学 [徒然]

ホントは今日からヨーロッパ旅行のはずだったんだけど、ヨーロッパを襲った大寒波の影響で空港が軒並みストップでシャルル・ド・ゴール空港行きの俺のフライトもキャンセル。振替便の予約はなぜか Air France のカウンターではできず電話する必要があるとのこと。電話してみたら早くても二日後しかなく、二日後だと旅程としてはミラノに移動している予定なので行き先を変更してもらおうとしたら代理店に電話しろとのこと。で代理店に電話したら Delta Air のカウンターに行けと。そいでカウンターに行ったら Air France で予約したものは Delta じゃ変更できないと。むがー。もう一度 Air France に電話したら、今度は行き先の変更含め振替便の予約ができた。だがここに至るまでで最初の電話から既に4時間ほど経過していたので、三日後のフライトになってしまった。アメリカではこういうイレギュラーな事態だと途端に対応がめんどくさくなるんだよな、全く。

というわけで二日間空いてしまったので、今日は Everett というところにある Boeing の工場に行ってみることにした。この工場は飛行機の製造ラインを見学することが可能なのだ。

見学のための施設は「Future of Flight」と名付けられている。これが入り口の看板。Seattle からクルマで20分くらい。
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見学者用駐車場から見える出荷待ちの飛行機たち。B-787、通称 Dream Liner が沢山置いてある。Dream Liner のロンチカスタマ(最初の顧客)は日本の ANA だ。ANA ペイントされた機体が複数あった。ただ、いくつか問題が出て出荷は延び延びになってるみたい。もう作っちゃった機体はどうするんだろうね。
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Dream Liner は日本を含め世界各国から部品が調達されてここで組み立てられている。部品の輸送には B-747 を改造した専用の輸送機 Dream Lifter が使われている。Dream Lifter は複数あり、そのうちの一機が駐機していた。
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見学センター入り口。駐車場に隣接している。
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見学センターには工場見学とは別にホールがあって、エンジンや機体、それらの説明などが置いてある。工場見学は基本的に予約制だが、ホールは特に予約なしでも入れる。B-747 の垂直尾翼が正面に見えるが、想像以上に大きい。横に置いてある説明用のディスプレイ筐体が大体人の背丈くらいなので、高さ8mくらいあるんじゃなかろうか。
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さてお待ちかねの工場見学・・・なのだが、工場内は写真撮影禁止。そりゃそうか。なので写真はなし。

見学はセンターからバスで機体組み立て棟に向かい、B-747、B-777、B-787 の各組み立てラインを上から見下ろすデッキから見学できる。組み立て棟はバカでかい建物で、高さは6~7階建てくらい、差し渡しと奥行きは600~700mくらいある。ラインを横切って移動するために地下道があるんだけど、地下道の端は霞んで見えないくらい長い。地下道からエレベータでデッキまで上がって見渡してみると、組み立てライン一つで街の三ブロック分くらいある。この建物は容積が世界一大きい建物としてギネスブックにも登録されているとのことだ。

製造ラインは古い順、つまり B-747、B-777、B-787 の順に見て行く。さすがに新しくなるにつれ、ラインはすっきり洗練されていっている様子だった。B-747 のラインでは組み上げた胴体をクレーンでとなりのラインに移した後、翼、ギア(離着陸用の足)の取り付け、配線・配管、エンジンの取り付けなどを行うが、B-777 では胴体と翼が非常にゆっくり動く巨大な移動台(6inch/分って言ってたかな?)に載せられており、移動台がU字の経路で進むに従って工程が進んで行くようになっている。B-787 は更に洗練されたラインとなっていて、4機の仕掛り機体が一直線に並んでいるだけ。工場内にある一番新しい仕掛り機体でも既にギアが取り付けられて飛行機の体をなしている。これは胴体を含め各部品が部品メーカからモジュールとして納入されるためだろう。見学時にあった仕掛り機体のうちの一機(27号機だったかな?)は JAL 向けのものだった。

見学にはガイドさんが同行して色々説明してくれる。その中で印象に残った話(というか、ちゃんと聞き取れた話)をいくつか紹介しよう。

  • B-747 の値段は一機大体二億ドル。一番高い部品はエンジンで、一機二千万ドル。次に高いのはメインギア。
    エンジンって高いんだね。もしかして一番儲かるのは Boeing じゃなくて、ロールスロイスとか P&W とかなんじゃ・・・
  • 建家内には郵便局、消防署、警察署、クリーニングショップ、コーヒーショップ、3つのカフェがある。コーヒーショップは Tully's Coffee で、これは Washington 州で一番売上の大きいコーヒーショップ。
    Washington 州なのに Starbucks じゃないとはこれいかに。大人の事情があるのでしょうか。
  • 建家すぐ横の駐車場は、ハイレベルの管理職、勤続年数25年以上の社員、特別なミッションの社員にしか駐車許可が下りない。その他の社員は少し離れた駐車場を使い、シャトルバスでここまで来る必要がある。 ただし、完成機体を建家から引き出す際は通り道を確保するため、この駐車場は閉鎖される。
  • 建家から引き出した完成機体は塗装や試験のため敷地内を移動するが、その際ハイウェイを陸橋で跨ぐ。この陸橋はワシントン州で唯一、ハイウェイ上に設けられた私設橋。 ハイウェイのドライバーをびっくりさせないように、飛行機の陸橋通過は深夜のみに限定している。
  • 工場横の滑走路は Boeing 専用ではなく、民間空港として使用している。優先度は Boeing 以外の民間機の方が高いため、セスナの後ろで何十倍もの大きさの B-747 が待っているという珍しい光景をたまに見ることができる。


工場見学なんて小学校の遠足(「現場学習」という名前だったが)以来だったが、なかなか興味深い工場見学でした。

日米における文化的差異に起因した行動様式差異の要因分析と日本人側からの緩衝的アプローチに関する考察 [徒然]

米国は Thanksgiving 週間、今日はお店が安売りするので皆が買い物に繰り出す、年に一度の Black Friday。特に買わなきゃいけないものもないので、たまにはカルチャーギャップネタを書こうと思う。

ついこの間、シリコンバレーに出張があった。うまいこと仕事の用事が金曜日だったので、週末は San Francisco 郊外に住んでる友人T一郎のうちに転がり込んで遊んできた。二人でルーマニアで行われた ANTHRAX/Megadeth/Slayer/Metallica の超豪華ラインナップメタルジョイントライブの BD を見て盛り上がったりしてたら(Dave Mustaine の Vo がやけにマトモだったので、音だけ再録なんじゃないかと疑っているが真相はいかに?)、T一郎の彼女が遊びに来て夕飯を一緒に食べに行こうということになった。彼女は生まれも育ちも生粋のアメリカ人。人種的・文化的ルーツは詳しく知らんが、見た感じはアングロサクソン。1/4 だか 1/8 だかネイティブ・アメリカンの血が入ってると言っていたかな。

一つ目のカルチャーギャップは行きの車中にて。
彼女は最近大学に入り直したんだけど、そこで日本語のクラスを受講しているらしい。そのため単語や基本的な文法なんかをT一郎に色々聞いていた。その中で「てフォーム」の話題が出た。
「てフォーム」については簡単に説明しておこう。外国で教えられている日本語文法は、といっても米国の例しか知らないけれど、日本人が中学高校で習う文法と切り口が異なっている。例えば、「来て下さい」という短文を日本人が習う文法に則って分析すると、
  • 単語分解: き - て - ください
    • き : カ行変格活用動詞「来る」の連用形
    • て : 接続助詞
    • ください : 願望の補助動詞、尊敬の含意あり

となる。
この文法的解釈は完全なもので既に日本語を不自由なく使える人にとっては納得の行くものだが、習いたての人にこれを教えても複雑すぎて混乱するだけだろう。そのため米国では以下のように教えている。
  • 来て : 後ろに願望・継続・提供などの補助動詞が来る場合、動詞の語尾が「て」になる
    • 例 : 「食べている」「持ってあげる」

つまり、「て」も含めて動詞です、という教え方であり、これを「TE-form(てフォーム)」と呼ぶ。
さて前置きが長くなった。「てフォーム」について彼女がT一郎に聞いたのだが、日本人はそんなの習っていないのでよく分からない。俺はたまたま知っていたので答えて、かつ上に書いたように日本人用と外国人用の教育では文法解釈の教え方が異なるということを申し添えた。だがT一郎は日本人用の文法もあまり覚えていなかったようで、「そうだったっけ?」と言っていた。そこで俺は軽い調子で「学校で全員やってるよ。お前はバカだなあ(Stupid guy)」と言ったのだが、そこで彼女は即座にこう言ったのだ。

「He is not stupid」

俺は、しまった、と思った。

日本では「バカだなあ」とか、関西だと「アホか」というのは、特に親しい友人の間ではよく交わされる言葉だと思う。そこには大した意味はなく、せいぜい「へー」とか「あ、そう」位のものだ。その感覚で「stupid」と言ったわけだが、ここに二つの文化的な違い、それに起因する齟齬が見られ興味深い。

一つは単純に言葉が持つ語気の問題。ニュアンスが正確に読み取れるほど英語が達者ではないので推測も交じるが、「stupid」というのは本当の意味での「バカ」であって、日本語で「バカだなあ」という軽い感じにはそぐわない。言われてみると、相手に面と向かって「stupid」と言っている人は見たことがない。陰口として言っているのは聞いたことがあるので、結構強い言葉なのだろう。それを友人とは言え直接口にしたことで、俺が本気でT一郎のことを無知な愚か者だと罵ったと彼女は捉えたと考えられる。

二つ目は彼女の取った行動。今回と同じ関係の日本人が三人で会話していて、昔からの古い友人二人がバカだのアホだの言い合っていた場合、たとえそれが結構本気でバカアホ言っていてももう一人は黙って聞いているか笑っていることだろうと思う。しかし西洋ではそれは通じない。自分の彼氏や旦那が罵りを受ければ、それは無条件に擁護すべき局面なのだ。これは、日本は以心伝心の減点主義、西洋、特に米国は相手の良いところを言葉でもって積極的に褒めることが良しとされる加点主義という違いに起因していると思われる。だから罵りは言葉通りの罵りと捉えられたのだろう。

これは、どちらが良いかという議論ではない。しかし、相手の文化的背景を考慮せずに不用意な発言を行った点は反省し、今後注意したいと思っている。

さて、そんなこんなでレストラン・・・というか、西海岸はすごいね。日本風の居酒屋があって、そこに着いた。そこでも彼女から非常に興味深い話を聞いたので紹介したい。

彼女が祖母に、日本人の彼氏がいるという話をした際、祖母は嫌な顔をしたそうだ。祖母は戦前または戦中生まれで、太平洋/大東亜戦争の記憶を残しているらしい。日本と同様米国でも、戦中の敵国に対するネガティブキャンペーンはかなりのものだったらしく、祖母の日本に対する印象はそれを色濃く反映しているとのこと。曰く、真珠湾をだまし討ちするような国の人間は信用できない、と。
俺としては当時も今も、日本人はルールに忠実であろうとするあまり正面突破を試みる傾向があり、その結果がアジアの覇権をめぐる全面戦争に結びついたのだ、だから日本人が嘘つきで卑怯だというのは全くの逆だというような主張を(やんわりと)したのだが、よく考えれば日本人と付き合っている彼女にそんなことを語っても仕方がない。それにここで言いたいことは当時の日本が全面悪であったかどうかということでもない。
興味深いのは、主要都市を全て焼き払い、終いには戦略核攻撃まで行って完全なる勝利を収め、国体を都合よく改造した上で日本を味方に引き入れた米国にも、未だに日本を快く思わない人々が一定数存在しているということだ(しつこいようだが、米国が行ったことの是非はここの話には全然関係ない)。幸いなことにこれまで米国で差別的な扱いを受けたことはないが、それは現実としてまだ存在している、そしてそれが意外と身近なところにあることに少なからず衝撃を受けた。
翻って日本はどうかというと、米国は身勝手だから好きではないとか言う人はいても、米国人そのものに嫌悪感を持つ人というのはあまりいないのではないだろうか。戦中派で鬼畜米英云々かんぬんと散々聞かされた人々にもそういう人はもはやほとんどいないように思える。この差は一体どこから来るのか・・・全く分からないが、ごぼうの天ぷらを齧りながら、違いがあるということだけは分かったのであった。

墓の裏に回る [徒然]

Jimi Hendrix。

世界ギター王座戦十五連勝、銀河系ギター選手権三連覇、初代永世ギター名人(十段)などその称号は数えきれない上に全部嘘だが、ロック好きなら知らぬ者のない伝説のギタリストである(これはホント)。日本では「ジミヘン」と言った方が通りがいいかもしれない。「じみへん」じゃないぞ。それは中崎タツヤのマンガだ。もしくは、ギターを歯で弾いたり燃やしたりするパフォーマンスが有名かもしれない。しかしパフォーマンスはあくまでパフォーマンスとして置いておいても、彼のギタープレイは時代を軽く跳躍する猛烈な輝きを放ち、未だに人々を魅了し続けている。Roling Stone 誌なんかがたまにやる歴代ギタリストランキングなどでは必ず一位に名が挙げられる、というかやる前から Jimi が一位なのは確定で、二位以下をランキングする企画なのだ。そういう企画では俺が最も敬愛するギタリストであるところの Tony Iomi 大先生が大抵20位とか30位とかの「とりあえず入れとく?」的なポジションになっているので憤懣やるかたないのだが、Jimi が一位であることには全く異論がない。

その凄まじいまでの伝説の数々はとても書ききれないので Wikipedia でも読んでいただくとして、天才のご多分にもれず Jimi も27才の若さで夭折している。Seattle に引っ越す直前まで知らなかったのだが Jimi は Seattle 出身で、お墓が郊外にあるらしい。というわけで今日は墓参りに行ってきた。

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いきなりですが、これです。お墓は Seattle の東南、Renton という町の Greenwood Memorial Park という墓地にある。うちからクルマでたったの30分。

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ドームの中の石版には、Jimi のギタープレイ姿と詩が彫られている。
Donation box でもあればいくらか置いてこようと思ってたんだけど、なかった。

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このまわりは空いてるみたいです。死んだらここに葬ってもらおうかな。

とまあ、単なるお墓なので特に何があるわけではありませんが、Seattle の最重要観光名所を一つクリアということで!

ここからは完全な余談ですが。
大学生だった時分、俺は音楽サークルに属していた。いわゆる「けいおん」ってやつだ。軽音部じゃなくて軽音楽同好会だけど。そこには「儀式」と呼ばれる、少々趣味の悪い恒例行事があった。「儀式」は夏と春の合宿で行われるのだが、簡単に言うとその年入ってきた一年生をからかって先輩方が楽しむというものだ。何をするかと言うと、まず夜に飲み会をする。儀式があろうとなかろうと飲み会はするのだが、儀式を執り行なうと決めた夜は念入りに一年生に飲んでもらう。(そういえば一年生って大体未成年だよな。あの頃は平気で飲んでたけど、今はダメなんだろうな、きっと)それで一年生が寝入ったら、先輩は大部屋に集まる。先輩の中には、社会人になってからも合宿に遊びに来るヒマ人がいる。そういう、一年生はあまり面識のない、なるべく年上の先輩が説教しているような形で座を作る。体制が整ったら、一年生を一人ずつ、「大先輩が大事な話があると言っている」となかんとか適当なことを言って起こして部屋に連れてくる。酔っ払ってる上に寝ぼけている状態で一年生がやって来ると、普段やりたい放題やっている先輩方が恐れ入るほどの大先輩が皆に説教をしている(という雰囲気の)場に出くわすわけだ。ただし、よくよく見るとおかしなことになっていて、例えば説教役の大先輩は座布団二十枚重ねの上に座っていたりする。
ここで、この儀式には二つだけ、絶対に守らなければならないルールがある。
まず一つめは、生贄の一年生を責めたり議論に巻き込んではならない、ということ。儀式はあくまで一年生を不可解な状況に陥いらせた上で、最後にオチを付けてみんなで大笑いするのが目的なので、オチが付いても一年生は笑えない、というのはいけない。
そして二つ目。参加者は何があっても決して笑ってはいけない。これは「大先輩からありがたいお話を頂いている」という場の設定を保つため。ただ、仕掛ける側にとってはこれが難関で、一年生の後ろ側に座っている奴らは一年生から見えないのをいいことに枕に顔をうずめて身悶えしていたりもする。そのため仕掛け側の配置は慎重に検討されて、すぐ笑うやつは後ろ(一年生から見えない側)に配置される。

さて、連れてこられた一年生が真ん中に座らされると儀式開始。まずは大先輩が一年生に質問する。例えばこんな具合。
先輩「君が今年入った○○君か。パートは何?」
一年「はい。ギターです」
先輩「そうか・・・俺はギロなんだけどね」
一年「?は、はあ」


とまあ、大先輩はまるでわけの分からないことばかり言う。
その他、よく使われたネタとしてはこんなのがあった。
先輩「君、合宿ではちゃんと絵日記つけてる?」
一年「え?絵日記ですか?」
先輩「そう。絵日記。あのクレヨンで描くやつ。もしかしてつけてない?」
一年「はあ。すいません」
先輩「部長!お前なにやってんだ!」
部長「はっ、はいっ!すいません!」
先輩「何回言ったら分かるんだ!軽音三種の神器は何だ!言ってみろ」
部長「はっ。クレヨン・クレパス・クレポリメイトです」
先輩「よし。はい皆さんご一緒に」
全員「クレヨン・クレパス・クレポリメイト」


「全員」では呼ばれた一年生以外の全員が唱和するわけだ。

他には、一年生の好きなバンドを聞いてそれについて先輩が口論しだして喧嘩が始まるとか、大先輩が話してる間に一人がわざとタバコを吸い始めて大先輩が激怒するとか、とにかく一年生を置き去りにして不可解な状況が延々続けられる。
最後にはオチが用意してあって、一年生も全部冗談だったということがわかる。一度、酒癖の悪いことで有名な一人が一升瓶を抱えてロフトから降って来て、一年生に絡むと見せかけてネタばらしする、というオチにしたことがあった。そいつが降ってきてからネタばらしされるまでの間、ほんの15秒くらいだが、その間の一年生の顔はどうしても忘れられない。目は酔っ払い(という設定のオチ要員)に釘付けで逸らすこともできず、この世の終わりが近づいているというのに逃げるも能わず完全に固まっていた。人間、恐怖の塊が近づいて来ると意外と何もできないものなのだな。

さて、「儀式」の定番ネタにはこんなのもあった。
先輩「部長、今年はアレ、誰が行くんだ」
部長「はっ。まだ決まっておりません」
先輩「そうか・・・○○君、行ってくれる?」
一年「どこにでしょうか?」
先輩「ジミヘンの墓参り」
一年「はあ、は?墓参り?ですか?」
先輩「うん。毎年行ってるんだよね」


あの頃どこにあるかも知らずに冗談で言っていた「ジミヘンの墓参り」を本当にすることになってしまうとは。なんとも感慨深いものだなあ、というのが余談を長々と書いた理由です。
このネタはジミヘンじゃなくてボンゾ(ジョン・ボーナム、Led Zeppelin のドラマーで、やはり夭逝している)のこともあった。次はボンゾの墓参りに行かないと!ってどこにあるんだろう。イギリス人だから英国かな。

帰り道は「Fire」を聞いて帰りました。


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